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患者さんの声

H.S.さん(40代)

乾癬治療と日常のストレス

乾癬が悪化。本格的に光線治療を始めることに

H.S.さん、乾癬治療と日常のストレス

次に病院にいこうと思ったのは27歳のときです。症状は年々悪くなり、最初は腕、次に背中、お尻と広がっていきました。皮疹の面積が広がっていくのを見て、「やばい! これは放置できない!」と慌てて病院に行ったところ「これは徹底した治療が必要だ」と言われてしまったのです。そこで土曜日もやっている病院を紹介していただき、塗り薬と光線療法から始めたのですが、効果はなかなかみられなくて。先生には、「これ以上悪くならないようにしましょう」と言われました。私も治すためというよりも「これ以上悪くしないため」に、毎週土曜日に病院に、実に10年通い続けました。この間は、たまに塗り薬をローテーションで、変えたりしていましたが、乾癬はよくなったり悪くなったり。でもこの治療を一生続けていくしかないと思っていました。

症状がひどくなってからのストレスはひどいものでした。服を着ていても鱗屑(フケのようなもの)がぽろぽろ落ちて、ソファーに座っていると、辺りが真っ白。30分も立っていれば、足の形がわかるくらい落屑がありました。掃除機のゴミパックのほとんどが自分の皮膚。入浴すれば、鱗屑がはがれて浮いてきますから、それをすくって捨てないといけません。自分が出したものの処理が本当に大変でストレスでした。

人に見られて反応されるのも苦痛でした。当時の職場で接客業務をしているときに、少し手を伸ばすと、お客さんが手を見て「どうしたの?」とか言うのです。同情するような顔をされるのが辛かったですね。

皮疹はおでこの生え際全体に出ていたので、常に前髪を降ろし、夏場でも長袖。フケのようなものが落ちないように袖口や足首などをゴム製のもので止めたりしていました。かゆみもひどく、かいてはいけないことは知っていますが、無意識に手がいきます。一番かゆいのはお風呂あがりで、夜もよく眠れませんでした。

自分もこの病気を知らなかったので、他の人が知っていると思えず、誰かに相談はできませんでした。「どうしたの?」と言われるのも嫌でしたしね。家族も私を傷つけたくなかったのでしょうか、何も言いませんでした。

患者会との出会い

「患者会」との出会いで、気持ちも ポジティブに。

H.S.さん、患者会との出会い

2010年に病院で「患者会」を紹介してもらいました。通院している病院内に同じ病気の人がいたとしても話したり、情報交換をすることはありませんが、患者会には乾癬の人がいます。同じ病気に悩んでいる人と話してみたい、どういう治療をしていて、どんな気持ちでいるか知りたいと思っていたので、すぐに入会しました。

患者会では、乾癬についての学習会やお互いの治療の話をするのですが、中でも乾癬のメカニズムを知ることができたのは有益でした。皮膚の断面図などを見ながら、乾癬のしくみを学ぶのですが、それを知ることで治療に前向きになれました。当時は今と違ってインターネットでは、根拠のない情報が飛び交っていましたが、患者会でみんなに聞くと、どうやら誰もがインターネットであれこれ調べて同じことをやっているんです。みんな、いろいろやっても治らなくて、こうしてここに辿りついているんだと知り、そう思うとみんなで頑張ろうと思えるようになりました。「どうでもいいや」と思っていた自分が嘘のようにポジティブになり、それに伴ってストレスが減ったためか、症状も緩和していきました。

ところが、東日本大震災で被災したときから、乾癬は急激にまた悪化しました。お風呂に入れず、毎日体を拭くだけで使える水も限られていました。小学校の給水場に自転車で水をくみにいったり、食べ物の買い出しに行ったり。震災のストレスはひどく、体は皮疹で真っ白になりました。ひどくなった体を震災前の状態に戻したくて、震災の2ヵ月後、病院に行き1年くらい治療を続けましたが、一度悪くなった皮膚はなかなかよくなりませんでした。

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